日本音楽学会過去の全国大会第49回(1998)>研究発表A要旨


日本音楽学会第49回大会

研究発表A要旨


A-1 大角 欣矢
鳴り響く墓碑銘:ガルス・ドレスラーの音楽に見る「死と音楽」

                                   
 16ー17世紀の他のルター派教会音楽作曲家と同様、ガルス・ドレスラーのモテットには「死」にまつわる歌詞をもつものがきわめて多い。当時にあって「死」は、死にゆく人の人生最大のハイライトであり、それは彼を主人公とし、周囲のすべての人の参加を得て行われる公的な儀式であった。特に身分が高い者ほど、死に際してあらゆる惑わしにうち勝ち、キリスト者としてのもはんを示すことが期待されていた。それゆえ、(1)ars moriendi(死の技法)として示されるような死に対する周到な準備、(2)その人が「キリスト者らしく」死んだことを公に告知する機関(特に葬式説教の印刷と墓碑の制作)が著しく重要であった。それは当時の(1)神聖ローマ帝国における身分制という社会秩序維持への要請、(2)宗教改革がもたらした死についての新しい神学的観念、(3)人間的パトスを強調する初期バロックを予示する時代感情と密接に結びついている。この時期の「死」にまつわるモテット創作もまた、こうした複合的文化事象の一環をなすものである。故人の愛唱句や、故人に寄せられた追悼詩を歌詞としたこれらのモテットには、(1)死に対する準備、(2)葬式での実際の使用、(3)故人への表敬という3つの目的が考えられる。その際作曲家に求められたのは、次に示すような、ある意味では矛盾し合うとも言える複合的課題を同時に解決することであった。(1)故人の体面を示して社会秩序を体現すること、(2)故人を哀惜し、残された者たちを慰めること、(3)復活の希望について教え、故人の信仰的模範に倣うようにと勧めること。なお、これらは葬式説教と墓碑の果たした役割と等しい。本発表では、ドレスラーの楽曲の被献呈者、とりわけアンハルト侯爵家とバルビー伯爵家の人々の葬式説教や葬式の記録を調査した結果と、楽曲の分析を傘ね合わせ、これらの音楽が当時の社会において果たした役割と意味を、具体例に即して見てゆきたい。


A-2  穴山 朝子
音楽界とナチズム  ― 1933年前後の音楽雑誌にみるナチズム
  

 ナチズムと文化領域、あるいはナチ政権の文化政策に関しては、ナチズム研究史においては、これまで比較的研究の少ない分野だとされていた。しかし、このテーマは近年急速に研究者達の間で注目されはじめている。

 本発表での意図は、ナチ党が政権を掌握する1933年前後に時期を限定し、ナチ体制へ向けて、ナチスが文化領域で支持、同意を獲得していく過程を考察することにある。特に今回は当時の保守系音楽雑誌Zeitschrift fur Musik を一つの史料として取り上げ、これを手がかりに、ヴァイマル共和国期末期の音楽界が実際に直面していた問題と、ナチスがそのなかで音楽界へ向けどのようなアピールによって、音楽家たちに支持を得ていくかという問題とを検証し、最終的にはドイツにおける保守派芸術家とナチズムとの関わりを考えようとするものである。分析の手がかりとしては、1920年代から1930年代初期まで、「音楽と政治権力の関係」をめぐる当時の音楽家や批評家の言説、論議に注目する。1920年代には、前衛、アメリカニズムの影響、あるいはメディアの発達に伴う文化生活の変化が、話題としてとりあげられているが、同時に音楽家の左翼運動など、政治との関わりもすでに問題視されていたことが論調からわかる。一方、ナチ運動は、1928年設立される「ドイツ文化闘争同盟」という文化団体として、この誌面に登場するが「芸術領域へ介入する」暴力的な政治としてではなく、当初は「芸術へ理解を示す」新しい政治の在り方として自らを宣伝し、音楽界へ浸透していくという事などが読みとれるのである。


日本音楽学会過去の全国大会第49回(1998)>研究発表A要旨