日本音楽学会過去の全国大会第49回(1998)>シンポジウム1要旨


日本音楽学会第49回大会

シンポジウム1要旨


シンポジウム 1

<音楽学>と<音楽>の価値

基調報告:藤井知昭

パネリスト:

小林義武
藤井知昭
増本伎共子
水野みか子

司会:西崎専一



要旨(西崎専一):

 日本音楽学会会報の第34号掲載の「会長就任にあたって」の中で、角倉一郎氏は次のように述べている。

「音楽学は音楽があってはじめて成り立ちうるのだということも、絶えず心に留めておく必要がありましょう。音楽は音楽学なしに存在しえますが、音楽を欠いた音楽学は考えられません。各人が内に抱きもつ音楽、そこからあふれ出る音楽学こそ、われわれが目指すべきものではないでしょうか」

 この「各人が内に抱きもつ音楽からあふれ出る音楽学」という一見きわめて情緒的にも思える提言は、音楽学は研究者自らの主体のなかで生成する動態としての音楽をマトリックスとするべきであることを説く点において、近年の音楽学が包括する(と考えられる)領域の多様化の問題と触れあうものとも考えることができる。比較音楽学・民族音楽学・音楽社会学らが先鞭をつけたことがら、つまり音楽(と呼びうる現象)に対する担い手の持つ価値観そのものを研究対象とするという方向性は、サウンドスケープ、環境音楽、芸術(音楽)工学、果ては音楽療法にまで展開する過程において、音楽の機能とそれに対する評価の問題までを研究の射程に取りこみ、つまりは研究者自身の音楽に対する価値観そのものを「内に抱く」ものとなってきたからである。

 これは西欧の芸術音楽を対象に展開してきた音楽学の流れとは違った、別の音楽学の系統を形作るようにも思える。伝統的な音楽学、なかんずく歴史音楽学は、なかば意図的に価値の問題を研究の対象から遠ざけており、それによって音楽学は実証的科学としての立場を確保し、アカデミーのなかに足場を築いてきたともいえる。そして、私たちは音楽学のこの自制の意味そのものに対してはそれなりの尊敬を払いながら、同時に全く異なった音楽学の方向をもう一方で模索するといった流れを作り出しているようだ。

 しかし翻って考えれば、音楽学が動態としての音楽に関わり続けようとするかぎり、研究対象の持つ価値や機能に対する何らかの省察は、芸術音楽を対象にする場合にも同様の不可避的に求められるべきものなのではないだろうか(もちろん「価値や機能の問題」にどのような距離をおくかはさまざまであろうが)。

 今回のシンポジウムでは、この問いに正面から向き合わざるを得ない民族音楽学の領域からの提言の基調報告として藤井知昭氏から受け、さらに小林義武氏には民族音楽学の核となる実証的な資料研究の過程の中に音楽作品に対する価値の認識はどのように入り込むか、水野みか子氏には分析的な手法による作品研究になかで、増本伎共子氏には創作との関わりにおいて、この問題がどのように立ち現われてくるかを話していただき、<音楽学>が<音楽の価値>をどのように吸収するか、またそれが<音楽学の価値>にどのようにつながるかを多面的に検討してみたいと考えている(今回は各パネリストによる発言要旨を予め提出していただきましたので、それを掲載いたします)。


小林義武
厳格な資料研究に音楽そのものについての価値観が入り込む余地があるか


 価値観が実際に入り込む可能性としては、次のような状況が考えられる。

A 校訂

1)綿密な資料研究を基に長期的な企画として出版される作曲家全集には膨大な経費がかかるため、芸術的価値が高い作品を創造した音楽家のみがその対象となる。

2)全集の校訂にあたって、有名作品の校訂者としては、著名な研究者が選ばれることが多い。

3)芸術的価値が高いと評価されている作品においては、校訂者も特別な熱意をもって仕事にあたる。

4)真偽が明確に判明していない作品の大部分は芸術的価値が低いと見なされており、それらは、真作と対等の扱いを受けず、少数の例外を除いて全集に採り上げられない。

5)芸術的価値の高いとされている作品は知名度も高く、出版にはより多くの販売部数が見込まれているため、結果的に経済的価値も高い。そのため出版社はより信頼のおけるテクストを提供することによって激しい販売競争を乗り越えようとする。

6)自筆譜が存在せず、recensio(資料間の比較によって原典に最も近い資料を確認する仕事)の過程を通じて、相互に依存関係のない二つの資料が残ったとき、資料間のテクストに相違のある箇所、つまりLesartの違う箇所では、音楽的価値の優劣が判断基準になる(例:バッハ、無伴奏チェロ組曲)。音楽学的見地からは、この種の問題が最も議論の対象となりうる。

B 作品の成立時期の究明

7)《マタイ受難曲》の成立時期については、近年Joshua Rifkin の研究によって 1729年という過去の定説が覆えされ、1727 年であったことが突き止められている。この研究成果に至るまでにはすでに様々な研究者が骨の折れる調査を行っていることを考えると、結果的にはわずか2年という差のためにいかに多くの研究労力がつぎ込まれたことであろう。そのような労力を、マイナーと言われている、つまり芸術的価値が低いと評価されている作品のために費やすことが考えられるであろうか。

C 作品の真偽の鑑定

8)従来Mozartの作品とされていたKV223 (382d)Kanon > Leck mir den Arsch < およびKV 234(382e)Kanon > Bei der Hits im Sommer ess ich < はWolfgang Plathの研究によって、 Wenzel Johann Trnkaというブタペスト大学医学部の教授の作品であることが確認された。この結果を1988年にマインツで開かれたOpera incertaというコロキウムで公表したプラートは、このような芸術的価値の低い作品のために、研究者が少なからぬ時間と労力を注入し、資料調査のために税金を使って旅行をすることが果たして正当化されるかどうか、という疑問を投げかけた。


藤井知昭
非西欧社会の諸民族「音の文化」研究


 音楽学における研究対象や内容あるいはその領域を巡って、現代はさらに大きな変容を示しつつある。音楽美学、音楽史をはじめとする古典的枠組みを大きく越え、認知科学や行動科学、情報科学、生態学など、関連諸科学との学際的共同作業の進展のなかで、その対象も知覚や行動体系さらには、遺伝子工学などにも及ぶ音文化をめぐる研究展開は、音楽という概念そのものにも大きなゆるぎをもたらしつつある。

 しかし、ここでは「音楽学」「音楽」とは何かを論ずることは避け、主として非西欧社会の諸民族「音の文化」研究を軸として、いはゆる民族音楽学研究-筆者は音楽人類学の呼称を使用することも少なくないが-に内在する価値観にかかわる諸問題を述べるにとどめたい。

 非西欧社会にも当然高度な理論や洗練された技術を伝承する文化もあれば、自然民族など基層社会の生活様式や行動様式そのものとしての音文化の伝承を有する社会集団など変容に満ちている。

 さらに、国民国家形成のなかで大きく浮上し、多くの領域において重要視されてきた民族という概念自体も、多義的な側面が問題とされ、容易には説明不能な複雑な内容を内包している。従って、諸民族の文化研究においても新たな研究の展開が今日的課題でもある。

 これらの経緯を背景にエスニック・グループ、さらにはエスニシティの概念の範疇-固有の伝統文化と結びついた象徴行為や認識の体系-に依拠した音文化研究やクレオール文化の音文化研究にシフトし、従来の民族音楽学の対象からも距離をもち、知覚の体系など関連諸科学の方法論との接近の中での変化も少なくない。

 自然民族など異なる文化の研究は、現地調査から出発する。多くの社会集団においては、伝承された音文化に対しては、整理や分類など意識化され、客観化されることは稀である。ここに「内」-伝承者自体-と「外」-調査者-との関係性の課題、価値観や価値の体系に関わる課題が重要な問題として存在している。一定の社会の成員、伝承者のもつ概念を理解しない分析や理論化を調査者がなせば、対象そのものをゆがめることになり、一方伝承者の歴史的、社会的に形成されたコンテキストの内面に迫ることは容易ではなく、寧ろ不可能に近い。従って、意識化されていない現象や形態を丹念に観察記録し、それに関わる言い伝えや意味をさぐり、可能な限りfolk taxonomy 、folk evaluationといった民俗分類や民俗評価を基盤に置いた上で、調査者の調査、観察による分析を加えて論理化することになる。

 ここに本日のテーマである「音楽学と音楽の価値」に対する見解としてそれぞれの両義性の問題を論ずるものである。


増本伎共子
音楽学の創作(作曲)の関係と意義


 結論を先に言うと、私自身の場合は、自分の創作にとって音楽学が直接関わりをもっているとは思っていない。逆に、作曲などの創作活動に携わっている者が音楽学の或る分野に関わりをもつ時、それはたいへん効率よくプラスに働く(そのような事例を私はいくつか知っている)。

 作曲と音楽学、とりわけ民俗音楽学との関わりについて考える時、人々は多分バルトークやコダーイの民謡採集活動などを思い浮かべるのであろう。しかしそれらは「学術的研究」として為された採集活動であったのだろうか?そしてそれら「研究の成果」を彼らはストレートに自分達の作品の中に投入したのだろうか?その辺のところは当人達にきいてみなければ分からない事ではあるが、私は少し違うのではないかと思う。

 私自身が民俗音楽学(…というか、日本の伝統芸能の理論的研究)に手を染めたのは、当時(…も今もあまり状況は変わりないが…)、音楽高校生だった自分の身辺には、日本の芸能を学習する手段もなく、たまに「外国の音楽」でも聞くように自国の古典芸能を耳にする程度で、「こんな事で、日本の作曲家になるつもりの自分は、いいのか?」と疑問を感じたことに始まる。そこで大学に進んでから、日本の東洋の芸能についての講義のある大学の聴講生になったり、そういう芸能を見聞する機会の多い学会に籍を置いたり、果ては、そういう「話」を他人が講釈しているのを聴いているだけでは駄目だと感じ、個別にそれらの芸能のレッスンを受けはじめたりした次第である。いくつかの論文を発表したこともあるが、それは「せっかく先生達が私のためにこんなに時間を割いて下さるのに、そこから得た事がらを、自分だけ独り占めにするのは悪い」とも思い、また、私同様に何も知らず、また知ろうともしていない日本の音楽家諸氏に、少しでも私の体験した事だけでも伝えたい、という使命感を感じたからである。

 そんなわけで、私がおこなったことは、音楽学の「学術的研究」と言えるのか否かは自分でも分からない。でも多少とも「人助け」になったらしい事は確かである。ところで…、冒頭にふれた「私の創作に、音楽学はどのように関わっているか?」という事について。直接の関わりはないにせよ、若干年「研究対象」として付き合ったそれらの芸能は、ごく自然な形で私の記憶の中に浸透し、折にふれ、作品の中に滲み出ては来ているようだ。つまり、「間接的には影響を受けている」とでもいうことであろうか?



水野みか子
音楽分析の立場から


 「<音楽学>と<音楽>の価値」という問題について、音楽分析の角度から考えてみたい。20世紀後半の音楽分析においては、どのような作品を対象とするか、作品に内在するどのような要素をパラメータとして選択するか、分析を施し記述するための方法はどのようなものか、といった根源的な問から出発して新しい手法や理論が生み出された。現代では音楽の美的価値を問うよりもむしろ、分析方法やそれを裏づける理論に適合する作品か否かによって対象を選択している場合も少なくない。作品全体を扱う場合ばかりでなく、個別部分の音楽的文脈を扱う場合も同様の状況にある。美的価値の上では従来全く異なるものとして扱われてきた作品が、分析方法や理論との兼ね合いでひとしなみに扱われ、比較可能になることさえまれではない。

 作品から作曲者のほうに向かう分析、たとえば作曲家が言葉で述べた作曲意図をひきあいに出したり、作曲当時のスタイルの作品との比較で当該作品の特徴を浮かび上がらせるといった方法による分析の場合と、感受者とのコミュニケーションの磁場において、あるいは聴取の際の生体情報や社会的条件との照合において分析する場合とでは、作品へのまなざしはおのずから異なったものとなる。後者の場合には、一般に、作品分析に関して外的諸要因が方向性をコントロールする可能性が高いと思われる。音楽は、作品全体であれ部分に関してであれ、社会におけるひとつの情報として人間環境を構成しており、その意味で社会での機能性によって価値を測られる場合が多い。この場合音楽の価値は美的価値には限定されない。

 さらに、バックグラウンドミュージックや街中のサウンドシンボルとしてデザインされた音楽に関して、それを耳にする人々の心理評価を分析したり、音楽を含む生活の中に種々雑多な音情報を周波数のフィルターで分析したり、あるいはオブジェクト指向で音高のセット分析をしたり、マルチメディア作品における音情報の音響分析をする、など、<音楽学>の領域を拡大していく分析も近年めだってきているが、こうした学際的立場に立った研究をふり返ってみると<音楽学>が果たす役割についていくらかのヒントをつかみとることが可能なように思われる。


日本音楽学会過去の全国大会第49回(1998)>シンポジウム1要旨