日本音楽学会過去の全国大会第50回(1999)プログラム>研究発表C要旨


日本音楽学会第50回全国大会
研究発表C要旨

研究発表 C−1

F.リストのオルガンまたはハルモニウムのための "Ave maris stella"
――R.ヴァーグナー博物館所蔵の自筆譜に基づく考察
福田 弥(慶應義塾大学/関東支部)


 現在バイロイトのヴァーグナー博物館には、14点のリスト(1811〜1886)の手稿譜が保管されている。発表者の調査によれば、これらの手稿譜の中には、今日まで全く言及されたことがない資料や、どの作品目録にも載っていない稿も含まれていることが判明した。本日はそれらの中から、鍵盤楽器独奏のための "Ave maris stella" 第2稿 (R.394-2, S.669-2) の自筆譜を取りあげる。この楽譜の作曲過程における位置と資料的価値を明らかにし、その結果を踏まえた上で、この稿の成立について考察を加える。

 リストにとって、宗教音楽は特に1860年代以降の中心的なジャンルのひとつである。"Ave maris stella" は、現在4通りの編成による5種類の稿が知られている[発表者の調査によれば、更にもうひとつの別稿があることが判っている]。鍵盤楽器独奏稿第2稿に関わる手稿譜は、このバイロイトの自筆譜の他に、ヴァイマルに自筆譜、ローマにリストの書き込みがある筆写譜、ブダペシュトにリストの書き込みのない筆写譜が現在残されている。これら4点の手稿譜を比較検討することで、それらの成立順序が明らかとなった。このバイロイトの自筆譜は、これらの手稿譜の中では最後の修正を含んでおり、この稿の手稿譜としては、実は最も重要な資料であることが判明した。

 また、今日までこの稿の作曲年代は判然としていなかったが、バイロイトの自筆譜にリスト自身が書いた日付から、この稿は1877年9月に作成されたことも明らかとなった。

 この稿は「二つの教会賛歌」第2曲として出版された。リストは1875年の書簡で、一般家庭で使用されるカトリックの賛歌が欠けていると嘆いている。1877年に作成されたことが明らかになった以上、この稿は一般家庭での使用を念頭において作成された可能性があるといえよう。


研究発表 C−2

フランシス・プーランクにおけるシャンソン・ポピュレールの受容
田崎直美(お茶の水女子大学/関東支部)


 プーランク(1899〜1963)の音楽作品は文学テクストに基づく作品が半数以上を占めており、使用されるテクストには彼とほぼ同時代の人によるものが多いことは知られている。しかし、数は少なくても、プーランクは創作活動全般にわたって“過去の遺産としてのテクスト”も取り入れてきた事実は注目される。特にシャンソン・ポピュレール(フランス民謡)を直接的媒体とした作品は、2つの時期(1922〜26年、1945〜46年)においてみられる。本発表では、このシャンソン・ポピュレールに着目して、彼がどのような形で作品に取り込んだか、彼にとってシャンソン・ポピュレールはどのような意義を持っていたのか、を考察する。

 まず1922〜26年において、プーランクはシャンソン・ポピュレールの歌詞に基づく自由な作曲を積極的に行った。しかしこの態度は、これまでの(19世紀末〜1910代)他の作曲家たちのシャンソン・ポピュレール受容のあり方とは異なっている。すなわち(1)国家や地方のアイデンティティーとの関連、(2)「健全な」音楽の志向、作曲手法的には(3)旋法による旋律への和声付け、というこれまでの基本的姿勢を、プーランクは踏襲していないのである。本発表では、この時期のプーランクをとりまく環境からプーランクの作曲立場を考察するとともに、具体的音楽特徴の考察として、合唱曲『酒の唄』(1922)と歌曲『シャンソン・ガイヤルド』(1925〜26)を楽曲分析し、原曲であるシャンソン・ポピュレールとの比較考察を行う。

 一方1945〜46年において、彼はシャンソン・ポピュレールの歌詞と旋律にかなり忠実に基づいて和声付けを行い、合唱曲『フランスの唄』を作曲した。委嘱作品ではあるが、なぜ一見時代に逆行する形で“和声付け”を行ったのか。原曲のシャンソン・ポピュレールとの比較考察による検証を踏まえた上で、当時の社会的背景との関連も合わせて考察していきたい。


研究発表 C−3

Intelligibilityを求めて
――ジョヴァンニ・アニムッチャとカトリック宗教改革
長岡 英(ブランダイス大学/関東支部)


 教会音楽におけるintelligibility(明瞭さ、歌詞のわかりやすさ)の問題は、1562年のトレント公会議第22会期の論点の一つであった。同年9月に出された最終的な規範では、現在一般に言われているのとは異なり、ミサにおける「淫らで不純なものの排除」という1点を承認しただけでintelligibilityについては盛り込まれずに終ったが、この問題はカトリック宗教会議の精神としてその後も影響を及ぼした。たとえば、1565年にミラノでミサ曲のintelligibilityを判断する私的な集まりが開かれた。ここで審判された可能性があるレパートリーの一つが、ジョヴァンニ・アニムッチャ(c.1500〜1571)のミサ曲である。彼は、公会議の綱紀粛正により、既婚であるために1555年に解雇されたパレストリーナの後任として、死ぬまで教皇庁のジュリア礼拝堂楽長の職にあった。トレント公会議の決定や雰囲気が直接影響する場の音楽を司っていたことになる。

 今回は、今まで一部しか現代譜化されていなかった1567年出版のミサ曲集に焦点を当てる。時代遅れとも言える、聖歌に基づくパラフレーズ・ミサが6曲収められた曲集の献辞の中で、彼は「歌詞を聞きとるのになるべく邪魔にならないように音楽を作曲した」と述べている。これは、同年に出版されたパレストリーナのミサ曲集第2巻(ポリフォニー音楽を救ったという神話で名高い「教皇マルチェルスのミサ曲」を含む)の「新しい方法で作曲した」という献辞とともに、公会議後に作曲家がintelligibilityに触れた最初の、しかも後者よりも明確な記述である。カトリック宗教改革の精神のために、音楽的興味を犠牲にしてホモフォニックなミサ曲を書いたルッフォの例も参照しながら、アニムッチャが音楽性とintelligibilityの両立をどのように試みたか考察したい。


研究発表 C−4

オペラ・バレエ考察――18世紀フランス・オペラの一ジャンル
石川弓子(ル・アーヴル大学/関東支部)


 フランスでは、1673年、ジャン・バティスト・リュリとプィリップ・キノーの『カドミュスとアルミオーネ』によって、新しいジャンル、オペラが誕生し、17、18世紀を通して重要なジャンルとなっていく。オペラという用語は、あくまで歌、器楽、舞台装置等によって担われる筋を持つ音楽劇の総称であり、当時のフランス音楽の状況をより的確に把握するためには、その下位ジャンルの確認が必要とならざるを得ない。

 各々のテーマ、形態の違いによって、トラジェディ・アン・ミュジック、パストラル、パストラル・エロイック、バレエ、バレエ・エロイック等に分けられることができるが、オペラ・バレエと呼ばれる音楽劇は、どういうものだったのだろうか。

 オペラ・バレエは、現在では、オペラとバレエという、それぞれ確立したジャンル用語の結合ゆえ、ともすると無意識に、誤って用いられることがある。しかし、時代的には”バロック時代”、地理的には”フランス”、とかなり限定されたジャンルといえる。当時の書物には、しばしば、フランス独特の音楽劇としてオペラ・バレエを記述する文が挙げられている。

 オペラ・バレエと見なされる作品は、1690年頃から、1770年代に作曲されており、そのオペラ・バレエ史を検討すると、3つの時期に大別することができる。中でも、第2期に最も多く作品が生まれた。オペラ・バレエの形態は、プロローグ付き、または無しで、独立した筋を持つ2幕、または3幕、または4幕からなっている。作品は全体を総括する題を持ち、各幕もそれぞれ固有の題を持つ。

 今回の発表では、オペラ・バレエというジャンルについて、用語、その誕生と消滅、作品構造、作品の主題を、台本や当時の回想録などの出版物から考察する。


研究発表 C−5

J.S.バッハのコラールテクスト・アリア
――コラールの詩と旋律の扱い、音楽構成原理を中心に
木村佐千子(東京藝術大学/関東支部)


 本発表は、J. S. バッハのカンタータ中のコラールテクスト・アリア全34楽章を対象とする。コラールテクスト・アリアとは、コラールの一詩節全体を原文通りテクストとし、聖句・自由詩など他種の詩句を一切含まないアリアで、大半がコラールテクスト・カンタータに含まれる。歌詞が定型のコラール詩であるにもかかわらず、ほとんどがイタリアの世俗作品に由来する自由詩アリアと同じスタイルで書かれていることに注目される。本発表では、アリアのなかでコラールの詩と旋律がどのように扱われているか、またコラールテクスト・アリア独特の音楽構成原理としてはどのようなものがあるかを見ていきたい。

 当時、アリアは常套的にダ・カーポ形式で書かれ、楽章の中間に両端部分とは異なる性格を与えることによって楽章としてのまとまりが得られていた。しかし、ダ・カーポ形式での作曲を前提として詩作された自由詩とは異なり、コラールの詩には内容的な対比や差異が含まれないのが普通であり、また全体を反復せず、通して歌うことが前提となっているので、何行にもまたがる長い文章も頻出する。このため、アリアとして曲づけする際には、ダ・カーポによらない独自の構成原理が必要とされる。さらに、コラール詩では、強弱の音節が規則的に交代し、押韻されているなど、詩型上の特徴に注意を払うことも必要であるうえ、コラールの詩と元来結びつけられたコラール旋律をどのように扱うかという問題もある。このように、通常のアリアとしては作曲しにくい要素が多いなかで、バッハはどのような解決策を見出しているだろうか。私の博士論文(99年1月提出)では、バッハがコラールテクスト・アリアに対して行った様々な音楽上の工夫の年代的変遷を辿ることに重点を置いたが、本発表では、一旦年代的変遷から離れ、むしろコラールテクスト・アリア全体の特徴を浮き彫りにすることを主眼としたい。


研究発表 C−6

ベートーヴェンの初期印刷楽譜にみられる書誌的証拠としてのウォーターマーク
長谷川由美子(国立音楽大学図書館/関東支部)


 ベートーヴェンの楽譜は大部分彫板印刷であるが、部分的な彫り直しや抹消、付加、プレートの入れ替えは容易で、権利所有者は需要があれば何度も印刷して販売できた。従って、同じプレートを使用していても、内容も印刷時期も出版事項もさまざまな楽譜が世に出ていった。これらの楽譜は、若干の例外は除いて、目録上は最初に版が作られた時を出版年として記述される。一方、19世紀の前半は約500年間続いたウォーターマーク付き手漉き紙からウォーターマークなし手漉き紙を経て機械漉き紙へと変化していく時期に当たっている。紙が印刷譜に関して注目されることはあまりなかったのだが、マークや紙自体に注目することによって印刷時期や印刷回数をある程度示唆できる。また、これらをタイトルページ等の記述とつきあわせることによってこの時代の印刷出版について、若干の手がかりを得ることも可能である。

 発表者は国立音楽大学附属図書館所蔵のベートーヴェン出版譜の内ウォーターマーク付きの約400点(1783年から1834年出版のもの)を基にして、次の点を報告する。

 1)ベートーヴェンの楽譜に見るウォーターマークの種類
 2)ウォーターマークの同一性とは
 3)ウォーターマークおよび紙の活用と限界


研究発表 C−7

シューベルト《冬の旅》再考
三宅幸夫(山形大学/東北・北海道支部)


 発表者は、これまで論文「<菩提樹>における隠喩」(『音楽の宇宙』所収、1998年、音楽之友社)、および口頭発表「シューマン《リーダークライス》作品39におけるメタファー、トポス、シンタックス」(1999年、東北北海道支部例会、岡本直恵・伊藤綾と共同発表)などでドイツ・リートの研究に携わってきたが、今回の発表ではシューベルトの歌曲集《冬の旅》全24曲を対象としてメタファー、トポス、シンタックスの観点から総合的な分析を試みる。いうまでもなく歌詞を独立した文学作品として読み解く作業はドイツ・リートの研究にとって不可欠の前提であるから、今回の発表では、まず『ヴィルヘルム・ミュラー作品集』(マリア=ヴェレーナ・ライストナー編、1994年)に基づいて詩集『冬の旅』の文学的特徴を『美しき水車小屋の娘』など他の詩作と関連づけて論じ、しかるのちに歌曲集《冬の旅》のなかから第20曲<道しるべ>を具体例として分析する。その際には上記の3つの観点に加えて、純粋に音楽的な意味での「初出効果」も大きな意味をもつことになるだろう。なお、分析における主要な着眼点は以下のとおり。

 1)主人公は「旅人たちの通る道を避け」る。この行動に対する音楽上のメタファーはなにか。
 2)自嘲の言葉「なんと愚かな望み」に対して、音楽はどのような強調の手段をとっているか。
 3)「休息することなく安息を求めて」の歌詞反復に対して、音楽はどのように変化しているか。
 4)そもそも「道しるべ」が指し示している「だれも帰ってきたことのない道」とは、なにを意味しているのか。


日本音楽学会過去の全国大会第50回(1999)プログラム>研究発表C要旨