日本音楽学会過去の全国大会第50回(1999)プログラム>研究発表D要旨


日本音楽学会第50回全国大会
研究発表D要旨

研究発表 D−1

A.ヴェルクマイスターにおける「公理 Axiom」の意義に関する考察
――17世紀の学問の方法論をめぐって
藤原一弘(洗足学園大学/関東支部)


 本発表の主旨は、中部ドイツで活躍した音楽理論家アンドレアス・ヴェルクマイスター(1645-1706)の著作に見られる「公理 Axiom」の概念が、彼の音楽理論においていかなる意義を持つのかを明らかにすることにある。

 ユークリッドの『原論』第一巻に対してプロクロスが書いた註釈書のギリシャ語原典とそのラテン語訳が16世紀に刊行されると、ヨーロッパではこれを契機に学問の方法論に関する議論が活発となった。17世紀から18世紀にかけては、「数学的方法」ないしは「幾何学的方法」に代表される新たな学問の方法論が、数学以外の種々の学問分野にも適用された。この時代の学問にもっとも特徴的なのは、自明で証明不要な「公理 Axiom」からの演繹的証明という論理的操作である。ヴェルクマイスターも、この学問観を受け容れ、その音楽理論の構築に積極的に応用した理論家の一人であった。

 ヴェルクマイスターが、Musicaを「数学的学」としてとらえていたことは広く知られているが、この場合、数学的学としてのMusicaとは、従来、中世の四科的な意味に理解され続けてきた。しかし、当時の学問の方法論という観点から、ヴェルクマイスターの音楽理論における「数学的学」としての Musicaの意義を問い直してみると、そこには四科的な意味合いと共に、数学的方法による証明に基づくMusicaという、今日まで知られていなかった重要な意味が含まれていることが明らかとなる。すなわちヴェルクマイスターにとって、Musicaとは「公理」からの演繹による証明によって導き出されるべき学問ということになる。ヴェルクマイスター以外の音楽理論家による、Musicaの公理と演繹的証明の試みとの比較することによって、ヴェルクマイスターの「公理」の独自性とは何かを考察する。


研究発表 D−2

作曲過程モデル論(第二報)
江村哲二(関東支部)


 昨年の第49回全国大会で発表した第一報では吉川が「一般設計学(1979)」で提唱した3つの公理を基に作曲過程のモデリングを行い幾つかの定理を導出した。このモデルは響きという実体概念集合の要求概念、機能概念、属性概念の各抽象概念集合がその実体の位相であるとすると、作曲とは写像g:要求空間→機能空間、写像f:機能空間→属性空間という2回の恒等写像で表され、また2回の写像とも不連続写像であるから、それぞれアブダクション(仮説形成)とディダクション(演繹)による収束過程を経る、というものであった。本報では2回の写像のうち写像fの詳細なモデリングを示す。まず機能空間と属性空間の間にさらに構造概念を位相とした構造空間を導入し、属性概念位相は「接続」により構造概念位相と同相と考え、属性概念位相を構造概念位相で代理する。写像fの環境として「自然法則」を与え、機能概念位相は有限個の自然法則概念位相に覆われたコンパクトな概念位相であると仮定すると、局所的に機能空間から構造空間への写像が連続写像となり、環境である自然法則の詳細化により機能から構造が生成され属性が決まる。つまり要求する機能の環境(自然法則)を詳細にすることによって構造が得られる、構造は与えるものではなく、与える環境によって機能から生成され得るものであるという定理を導出する。さらにこの過程は開放系(非孤立系)の非平衡状態では、環境からエネルギ(情報)を取り入れ、それを内部で散逸(消費)することによって構造が現れる、とする I.プリゴジンの「散逸構造論(1977)」との共通点を示し、また自然法則は対象、境界条件、振る舞いという3つの操作パラメータによって記述されているとすれば、先の自然法則の詳細化とは、要求する機能を振る舞い得る自然法則を選び、それに制約(境界条件)を与えることを意味する。サンプルとしてJ. P.ラモーとスペクトラム技法を取り上げる。


研究発表 D−3

リゲティの《ル・グラン・マカブル》における現象学的音楽空間
神月朋子(東京藝術大学/関東支部)


 本発表では、ジェルジ・リゲティ(1923〜 )のオペラ《ル・グラン・マカブル》(1974〜77/96)をとりあげ,実存的現象学にもとづく音楽空間論から考察する。

 実存的現象学にもとづく音楽空間論とは、主体でもあり客体でもある両義的な主体が、受動的に与えられた世界から具体的に意味づけ、構成するものとして音楽空間をとらえるものである。その基本モデルは「中心と道,領域等を含む有限な全体」である。この方法論によれば、音楽空間を含めた空間全体を分類し、たがいに関連づけることや、20世紀音楽における空間表現を体系的に扱うことが可能になる。同時に、調性音楽における音楽的時間を偏重してきたこれまでの音楽美学とは異なる新たな可能性を探ることができる。

 リゲティは1960年代以降「網状組織」や「想像上の空間」などの独特な空間概念と空間表現を示し、創作の目的の一つとして位置づけている。これまでの研究は、彼の空間表現としてもっぱら静態的な表現や漸次的な音響変化を取りあげてきた。しかもそれらを実存的な空間として体系的に扱っていない。しかし「共感覚」をはじめとする彼の思考全体を見渡すとき、それが実存的な特徴を示していることは明らかである。従って、空間表現についても実存的な視点から考察することがもっとも適切であり、そうしてはじめてその独自性と意義を明らかにすることができると考えられる。すなわち、日常的に疎外されている実存的空間を回復したこと、またその新しいあり方を提示したことである。

 具体的には、1970年代における作風の変化と空間表現の傾向をたどったのち、それらを支える創作思想を確認する。そのおもな特徴は、反省的なポストモダンの思考がより明確になったことにある。分析では、上記の音楽空間の分類と基本モデルにもとづいて伝統的な諸形式や引用技法、極度な対照性や静態的な表現を扱い、実存的な音楽空間としてとらえ直す。結論としては、この時期には空間表現のうち「複数の中心」を特に取りあげていること、またリゾームのような多核性を中心にしていることが得られた。最後に、彼の創作全体の背景と歴史的な位置づけに言及したいと考えている。


研究発表 D−4

音楽聴の多元的モデルへむけて――前衛音楽の美的意味と「作品のペルソナ」
澁谷政子(東京藝術大学/関東支部)


 音楽の聴取とは、聴き手と音楽作品と聴取の場とが相互に関係を結ぶ現象であり、そこで我々の心に仮想的に構成されるさまざまなイメージや感情や考え、すなわち音楽の美的意味は、この複雑で可動的なネットワークの産物である。この多元的・創造的・可変的な音楽聴の性質は、これまでの形式主義的・作者中心主義的な音楽美学や音楽意味論のなかでは、あまりうまく捉えられていない。それは主に、従来の理論が、聴取とはべつの次元ではたらいている原理を聴取体験にあてはめようと試みてきたからである。そのようないわば規範的アプローチの限界は、我々の実際の音楽体験とそれらの理論とを比較してみれば、明らかである。これに対し、音楽体験に即した記述的アプローチにより、聴き手による音楽の意味構成に関する多元的モデルを提出することが、本発表の目的である。

 出発点は、響きを聴くことである。とはいえ、音楽聴はたんなる知覚を超え、認識および想像へひろがってゆく。音楽の認識・想像行為のしくみとして有効と思われるのが、近年、認知言語学の分野において提唱されている「隠喩的概念体系」(G. Lakoff & M. Johnson 1980)および「概念融合」(M. Turner & G. Fauconnier 1995)のメカニズムである。このしくみは、個人的レベルから文化的レベルまで連続的に作用し、それぞれの「環境」のなかで音を音以外のものへと変換してゆく。このように多様な要素が聴き手を結節点としてそのつど協働する場として音楽聴を考えるとき、制限されつつ自由、という音楽聴の性質をきわめてスムーズに説明することができる。本発表では、戦後ヨーロッパの前衛音楽を例として以上の点を論じたうえで、この特殊な音楽についての言説の分析をとおして、その美的意味の根拠をさぐる。そして、この音楽文化を読み解くカギとして、「作品のペルソナ」という隠喩的概念を提出しようと思う。


研究発表 D−5

ピアノ奏法理論にみる医学と音楽のかかわり
酒井直隆(横浜市立市民病院/関東支部)


 芸術のすべての領域に科学が導入できるわけではないが、少なくとも頭で感じたことを手を使って楽器で表現する演奏動作においては、医学を導入し合理的な奏法を検討したり手の障害の予防法を講じることが可能である。演奏家とくにピアニストは酷使する手に障害をきたすことが多いが、ピアノ奏法理論自体がピアニストの手の障害を出発点としていることは知られていない。1885年デッペは当時の指のみの奏法が手の障害の原因であるとして、腕の重量を利用する奏法を提唱した。 彼の方法は重量奏法として今世紀初頭に広まるが、極端に走る余りピアノ教育界に論争と混乱を呼び起こすに至った。この混沌状態のなかでマテイはピアノ奏法に医学的観点を導入することを考え、ピアノ奏法を指によるタッチ、手首によるタッチ、腕によるタッチの3種類に区分した。マテイの手法は奏法理論研究者に引き継がれ、オルトマンは数々の動作解析装置を試作し、ガードは骨間筋の発達がピアノ奏法の鍵であるとしてその訓練を推奨した。こうした腕や手の構造と機能から合理的なピアノ奏法を探ろうとする試みは、ピアノ演奏の複雑な動作の解析が困難であったため、その理論の発展にも限度があった。 しかし近年のエレクトロニクスおよびパソコンの発達により演奏動作の詳細な解析が試みられ始め、筆者自身も赤外線マーカーを使った動作解析システムによってピアノ演奏と手の障害の関係を解明しつつある。本発表ではこうしたピアノ奏法理論における医学の導入の経緯を明らかにするとともに、医学と音楽がかかわりあう新しい分野の可能性と展望について述べる。


研究発表 D−6

楽曲構造とリラクゼーション効果――脳波のフラクタル次元解析を通して
佐治順子(宮城大学/東北・北海道支部)
佐治量哉(筑波大学/非会員)

【目的】

 音楽療法において、音楽嗜好の高い楽曲を取り入れることが一般的であるが、果たして本当に有効であろうか。音楽のリラクゼーション指針として、ジャンルの異なる楽曲と生理学的効果を、脳波のフラクタル次元解析を通して考察する。

【方法】

1.音楽意識調査をアンケート形式で大学生対象に行なった。ジャンルの異なる10曲の楽曲構造を、自己回帰モデル(AR法)解析を通して明らかにし、音楽嗜好との関係を考察した。

2.脳波測定は、国際10-20法に基づき日本光電製脳波計EEG-4500を使用した。ここで楽曲データを同時に脳波計に記録した。2-1:安静閉眼状態における脳波測定を行った。2-2:あらかじめ同一時間に録音した異なるジャンルの楽曲(器楽演奏)を、ヘッドフォンを通して聴取させ脳波測定を行った。楽曲ジャンルは、音楽嗜好度が最も低い「演歌」、中程度の「クラシック音楽」、最も高い「ポップス音楽」である。音楽聴取後、被験者に5段階で楽曲嗜好度を評価してもらった。

3.前頭部、側頭部、頭頂部、および後頭部位脳波時系列に対して、安静時、音楽聴取時と音楽聴取後の局所的(4秒間)フラクタル次元を求めた。

【結果】

 嗜好度の高いポップス音楽では、楽曲構造に依存した脳波の変化がみられ、覚醒状態が長い。嗜好度が中程度のクラシック音楽では、必ずしも楽曲構造に依存せず入眠初期状態への移行が容易である。局所的フラクタル次元は、入眠初期状態へ移行する時に減少するなど、脳波の変化に対応した変動を示す。

【考察】

 楽曲が及ぼすリラクゼーション効果を定性的に把握することは、音楽法において必須の課題であるが、その一つの有効な指針となるのが脳波のフラクタル次元で見ることが確認できた。年齢層や障害の程度などによる楽曲選曲と音楽嗜好の問題について、今後さらなる考察を進めていくことが必要である。


研究発表 D−7

リズム打ちにおける引き込みについて
中西智子(三重大学/関西支部)
吉田友敬(成安造形大学/非会員)


 音楽演奏などのリズム行動において、正確なテンポからのずれやゆらぎが重要な要素であることは周知の通りである。本研究では、演奏者相互のずれについて、引き込み同調という観点からアプローチした。この目的による分析のため、簡単なリズム打ちを5人の被験者が同時に行なうという実験を実施した。

 被験者のリズム打ちを誘導する刺激として、今回は実験者による誘導を、(1)言葉をリズムに当てはめる (2)擬態語を用いてリズムを提示する そして(3)パソコンの機械音で誘導する、の3通りについて分析した。被験者は幼稚園児60名と大学生20名である。

 その結果、5人の被験者の打った時刻の平均値からのずれの分析については、約50%で正規分布から逸脱していた(5%水準)。また、リズムの同調度をはかる指標として5人の被験者データの標準偏差値を用いた結果、幼児の場合は実験者による誘導より、機械音の方が同調度が高かった。学生の場合は逆に機械音の同調度が低くなった。学生の場合は刺激音への合わせ易さが主因となったのに対し、幼児の場合は刺激音への興味・集中度が主因となったためと考えられる。

 一つのリズムパターンの中では、3本締めの場合に、標準偏差値が有意に変動しているのがデータ全体の平均値の検定で明らかになった。他のパターンでは、平均としての変動は少なくとも学生では認められなかったが、個々の場合ではF検定によると、それぞれに異なった変動が生じていることがわかった。


日本音楽学会過去の全国大会第50回(1999)プログラム>研究発表D要旨